イスラエルの鼓動1999年 8月
中東の外観と内部事情(記述;ウィリアム・E・カリー牧師)
和平への新しい期待
1999年7月6日は、中東和平への転換点として、我々の記憶に新しい。
少なくともイスラエルの新首相はクネセトにおける就任演説のなかで、そのように感じていることを表明した。根深い嫌悪が公表され、自らの公約実現のためには、敵前で恥辱を被ることの多い中東で、山積する問題を抱えながらもエフド・バラクは、楽天的に見える。アンワール・サダトやイツハク・ラビンは、戦闘に疲れ切った土地に平和をもたらそうと試みたが、自国民の手によって命を奪われてしまった。我々はこのエフド・バラクと新政府に、この和平達成という大目標の実現を期待できるのだろうか?
和平交渉の土地とは?
バラクの基本選挙公約は以下のとおり、
@ 1967年の国境線を確保する。
A 国民投票で決定しない限り、ゴラン高原を撤退しない。
B 入植地のほとんどをイスラエル領として保有する。
C エルサレム分割には応じない。
D ヨルダン川以西に外国軍を入れない。
バラクは和平と引き換えに土地譲渡をするのか? これは超正統派ユダヤ教徒にとって死活問題だ。ジュディア・サマリアと呼ばれ、ほとんどのイスラエル人入植地のあるヨルダン川西岸地域は、パレスチナ人の土地としていつも交渉の争点である。この土地の一部は、国民投票と上記の規範に従って、パレスチナ自治政府に譲られるだろうと私は思う。
バラクはイスラエル国民から和平交渉を委任された最初の首相であることは、疑いの余地のないところだ。反バラク派たちは、「56%という高いバラク支持率は、ネタンヤフに対する不支持票にすぎない」と言っているが、批判者たちはいつもこの手だ。しかし彼に投票した三百万人以上の人たちが、過去の労働党党首のベン・グリオン、ゴルダ・メイア、イツハク・ラビン、シモン・ペレスにかけた期待と同様に、彼等を平和と繁栄の次世紀へ導くリーダーとして期待していることは明白である。
かよわい連立政権
クネセトでバラクの率いる政党“一つのイスラエル党”(旧労働党、ゲシェル党とメイマッド党からなる)が過半数を獲得できたならば、和平の期待も大きくなっただろうが、総選挙には大小合わせて33の政党が出馬していた。5月17日以降にそのいくつかが合併して、大きくなっているものもあるが、以前として政権を単独で担えるものは一つも存在しない。バラク新政権がクネセトの承認を得て発足した直後、与党内のイスラエル・バアリア党が分裂してしまった。クネセト議員は、連立与党内といえども、協調性ではなく、多様性を主張していて、独自の意見を押し通す者たちがとても多い。これはバラク政権の将来に、暗い影を投げかけている。
5月17日以前のイスラエル政局の混乱は、大統領の与党が議会の少数派で、二大政党のねじれ現象だと言われているアメリカとは比べ物にならないほど酷いものであった。33もの小政党が乱立した、イスラエルの議会選挙というものがどのようなものか想像してみていただきたい。少なくとも総有権者数の1.5%以上の得票がないと議席を確保できない。5月17日の選挙結果では、33政党のうち15政党がクネセト(総数120議席)で議席を獲得しただけであった。最高議席数を獲得したのは、バラクの“一つのイスラエル党”で26議席であった。彼は直接選挙で首相に選出されたが、彼の党は政権維持のために必要な61議席には到底及ばなかった。ゆえにバラクは45日もかけて、彼と考えも評価も違う政党をつなぎ合わせて、連立政権を造ったのである。
普通過半数を確保して連立政権を担う場合、各政党の公約を実現するという合意文書に首相が署名しなければならないが、今回は、参加している政党が、首相とその政党の公約を応援するという条件で署名しているという。つまり立法主導権は首相とその政党に属するというのだ。バラクとしては、巧妙に議会の最終決定権を獲得した事になるが、連立政府というものはとても脆い物である。ネタンヤフ政権時代に、ある協力政党の閣僚が、彼の公約が実現されないからと言って連立を離脱した事があった。バラクの指導力は、中東和平推進を打ち出した時に、公に試される事になる。
分裂内閣
バラク内閣の閣僚間に、不和が根強く存在する。すでに閣僚の何人かは、独自の議案を提出している。教育相のヨシ・サリドは世俗的なメレツ党員である。イスラエルの宗教学校のほとんどの運営費は、政府の補助金で賄われている。彼が一般の学校にも援助するために宗教学校の補助を減らすか? 双方を同時に扱えるか? 彼の手腕の見せ所である。多くのラビはすでにサリドに不信感を抱き、彼のあらゆる言動を監視している。
現内閣の不安定さに拍車をかけるのが、ダビデ・レヴィとの関係である。彼は世俗的スファラディ・ユダヤを代表するゲシェル党の創設者・党首であるが、バラクの一つのイスラエル党と連立を組んでいる。前政権で外務相を務めたレヴィは、ネタンヤフと共に敗北したので、外相を辞任しリクード党も離党して、復讐するためにゲシェル党を創設したのだ。現内閣で再び外相として大きな力を持つようになったレヴィは、エフド・バラクをボスとして服従するのか? あるいは彼独自の道を選ぶのか?
バラク内閣のもう一つの緊張状態は、アシケナジィ(東欧系ユダヤ人)とスファラディ(地中海系ユダヤ人、モロッコ系が多い)との関係である。バラクはアシケナジィで、レヴィと数人の閣僚はスファラディなのだ。かねてからスファラディはイスラエル社会において、二級市民と見なされていて、経済的にも低層の仕事に就いていたのだ。
このような雰囲気は、政治情勢が加熱してくると、今後の信頼関係に影響を及ぼすことになりかねない。そして連立政権の崩壊や、イスラエルの進歩や、ひいては中東における関係の向上に大きな障害になる可能性もあるのだ。
バラクのために祈る
バラクは近代イスラエル史で最も多くの勲章を受けた兵士であり、イスラエル国防軍の参謀総長であった。彼はまた有能な政治家であり指導者だ。ラビンに師事し、ラビンの大きな信頼を得ていた。しかしそれらでさえ、クネセトの分裂や内閣の崩壊の欠点となり得るものでもある。エフド・バラク首相は神の民の祈りが必要である。メシアの再来されるまでは、世界中どこを探しても、永続する平和の実現は不可能だ。現在イスラエルの人々は、平和と保証を求めてイデオロギーや思想に解決を見出そうとしている。バラク首相は経験を用い、大きな希望を掲げて結果を出そうとしている。彼には神様の導きの御手が、必要不可欠である。『エルサレムのために平安を祈れ』(詩篇122:6 )
イスラエル総選挙は、
イスラエル人信者にとってどのような意味を持つのか
バラク首相の大目標の一つは、イスラエル憲法の制定である。現在イスラエルには、政府基本法があるが、個人の自由を保障するというような文言はない。バラクは、「イスラエルにおける信教の自由の保障を憲法に盛りこむべきである。」と発言している。これはイスラエルから信教の自由を剥奪しようとしている超正統派と対抗している信者たちを後押しする意見である。伝統的に超正統派は憲法制定に、反対してきた。なぜならば、それによって彼等が支配してきた、結婚、市民権、ユダヤ人墓地への埋葬問題など、日常生活全般にわたる支配権を失うことになるからだ。
本紙が繰り返し取り上げてきた、反宣教法案は、前クネセトの会期末で廃案になった。それはラビ・ピンハシ議員の個人提出の法案だったため、彼の議員引退によって審議前に消滅したからだ。この件に関して、信者たちは勝利を得たが、まだ戦いが終わったわけではない。メシアニック・ジューやイスラエル国民の大多数は、バラク首相が超正統派を連立政権に加えないように願っていた。しかし選挙で超正統派のシャス党が17議席も獲得してしまったため、連立政権の基盤安定のために閣内協力することになってしまった。それでも彼等は前政権で保有していた、重要な内務相などのポストを獲得できなかったため、現在彼らは移民・ビザなどを支配することができなくなったのだ。
私の忘れられない夜
イスラエルに住むユダヤ人をメシアへと導くために、効果的な方法の一つは、メシアニック信者たちの家庭で毎週行われている“聖書研究集会”である。近所の人たちも、この聖書研究に誘われて神の御言葉を学んでいる。世界中でも教会設立のためにこの方法が用いられているが、イスラエルでは超正統派が活動を強化しているところでさえ、聖書研究の集会が増えている。ある地区では、宗教指導者が警官隊を支配していて、市民の社会生活を厳しく監視している。それでも小さなグループは、アパートの一室などで毎週集会を持っている。彼等は宗教的な隣人たちにとり囲まれているので、讃美歌を歌うことさえままならない。指導者は、参加者全員が自分の言葉で「神の言葉」を読むことができるように、いろいろな言語の聖書を準備している。このようなグループが成長して、その町のメシアニック会衆の核となって行くのである。
今春のある日曜日の夜、私はある聖書研究会で教えた。聴衆は数年前にロシアから帰還したユダヤ人たちだった。そのうちの一人はロシア陸軍の元高官で、マルクス・レーニン主義を教えていた人、また他にもロシア戦車部隊の将校だった人など、高学歴、学位を持ちながらも霊的には飢え渇いた人たちであった。ひとりの婦人はすでに、メシアを受け入れていた。神様は一見不可能に見える所でも、福音が浸透するように扉を開いてくださった。特にその町は、公に伝道すると暴動が起こるような、宗教的に厳しい所だったのだ。
私はそこで、簡単な福音メッセージ「メシアの十字架の死」を教えた。聴衆の興味は増して、部屋はますます静かになった。しばらくしてひとりの男性の顔に、光と微笑みが表れた。福音を理解したのだ。それはかなりの年配で、元マルクス・レーニン主義を教えていた男だった。「この方こそ私の救い主。私のために十字架にかかってくださったことを感謝します。」と彼は言った。私はその夜の感激を、いつまでも忘れることがないだろう。
数年前、街頭で聖書やトラクトを配布していた者たちが、超正統派によって追い出された町で、いま毎週聖書研究会が開かれている。ごく最近メシアを受け入れた人のアパートで毎週の聖書の学びが開かれることは、まさに神の恵みと神の時である。幾人かは以前からメシアを信じてはいたが、霊的生活に無関心だった。いま彼等は熱心に聖書を学び、成長している。ある男性は、真理を探求するために数週間連続で集会に出席していて、もう一歩で信仰表明する所まで来ている。この聖書研究の群れも、やがてこの町の会衆の核となるだろう。
これらはイスラエルで毎週行われている聖書研究の二つを紹介したに過ぎない。神様はメシアニック・ジューの指導者たちによる、このような働きを祝福しておられる。彼らはロマ書11:5に記されている『残りの者たち』の一部である。メシアを受け入れてキりストのからだ(教会)に合わせられた者に、ユダヤ人・異邦人の区別はない。キリストに在って我々は一つである。
イスラエルの会衆はいろいろな取り扱いを受けているが、ますます成長している。社会的、政治的に流動している国において、神様はご自分の選民を続いて忠実に御許に引き寄せておられる。我々はイスラエルのために祈り、メシアニック・ジュー(イエス様を信じ受け入れた者たち)とその指導者たちのために祈りつづけていかなければならない。
(AMFインターナショナル発行 邦訳;石黒イサク)