イスラエルの鼓動 1998年5月
中東の外観と内部事情 記述;ウィリアム・E・カリー牧師
イスラエル; 民主政治か神政政治か
出エジプトから士師たちの時代までイスラエルは、神の権威の下にある祭司たち主導の神政国家であった。しかしその後イスラエルは、神に支配されることを拒み周辺の異邦諸国と同様の王政を要求した。神は彼らの願いをかなえ、サウルをイスラエルの初代国王とされた。
その時点から今日に至るまでイスラエル民族は、神権による政治を受けていない。歴史の中で祭司が国家を指導していたときもあった。それは紀元前約170年、シリアのアンテオコス4世・エフィファネスに対するマカベア・ユダによる反乱の時からで、マカベア家の支配はローマ軍のポンペイ将軍がエルサレムを征服し、ユダヤを統治する紀元前67年まで続いた。パリサイ派はイエス様の地上生涯の頃、当時の社会を扇動し、国民の大多数が彼らのメシアとしてのイエスを拒絶するようにしむけた。
紀元70年、ローマはエルサレムとヘロデの神殿を破壊し、ユダヤ民族を世界離散の民とした。1948年イスラエルは、ディビッド・ベングリオン首相の下で民主国家として独立した。彼は祭司としてではなく、総理大臣として政治を行ったのである。
自由のための試練
近代イスラエル国は中東における唯一の民主国家である。しかし民主主義を継続するために政府は国民の思想・言論の自由を保証しなければならない。最近クネセトに提出されている法案によって、この個人の自由が苦境に立たされているのだ。イスラエルの鼓動の前号(1998年3月発行)で取り上げた『改宗法』は、正統派ユダヤ教がイスラエル国家を支配するための布石である。今回取り上げる『反宣教法』は、イスラエル内のメシアニック・ジューたちの言論の自由を縛り、正統派ラビたちの権力を増進するものだ。ラビたちは今までに離散していたユダヤ民族の宗教指導者として権力を拡大し、イエス様の時代にパリサイ人たちがサンヘドリンで権力を振るったように、今日のイスラエル社会を支配しようとしている。
西側諸国、特にアメリカは戦略的友好国として、アラブ敵対国に囲まれているイスラエルの存続に大きな責任を持っている。この中東における民主国家を支援し続けるように、神様が私たちを導いておられると私は信じる。私は心底からの親イスラエル派であるが、この立場が民主主義理念を理解しない偏見へ導くとは思わない。
“宣教師の誘導活動”とは何か?
イスラエル建国当初、倫理に反するあるクリスチャンの宣教団体が、改宗を促すために物品などの援助をすること(改宗者買収)を法律で認めるように求めた。ある団体は、帰還者の家族に対して「クリスチャンに改宗すれば、大きなアパートや食料の援助を政府から受けられるようにする」と約束したことがある。これは、その団体の裁判を担当した弁護士から聞いた話である。その時彼らは勝訴したが、政府が敗訴したために、その後“買収による改宗を禁止する”という現行の『反宣教法』ができたのだ。
私もこの法律を支持する。我々は物品を与えて、ライス・クリスチャン(食糧をもらうために、イエスを信じると告白するアジア人たちの呼称)を作るのが目的ではないからだ。
1996年の後半、メシアニック・ジューやクリスチャンたちの伝道により、多くの帰還イスラエル人たちがメシアを救い主として信じるようになったために、クネセトの宗教政党が現行の『反宣教法』をもっと厳しくせよと言い出した。この改正案の引き金になった事件は、アメリカ人伝道師によるイスラエル家庭100万軒あての福音文書郵送作戦だった。このDM作戦は、イスラエル国民を非常に怒らせてしまった。ほとんどの文書は郵便局で配達前に焼かれてしまったため、印刷・郵送に費やした金は無駄になり、イスラエルでの伝道の権利は今、危機に立たされてしまった。
1997年2月19日、クネセト第14会議において、ユダヤ教トーラ党のラビ、モシェ・ガフニ議員と労働党のニッシム・ズビィリ議員が、“宗教の変更を誘発するいかなる文書の所有・印刷・複製・広報・頒布・輸入を禁止する”という法案を提出した。これに違反する者は何人でも文書を没収され一年の懲役刑にされる。
この法案提出者は「イスラエル国内で…宣教師のいかなる改宗誘導活動を認めない。…最近宣教師たちが改宗を誘導する材料を郵送しているから…」と説明している。
この“宣教師”という言葉は、聖職者の宣教師だけを指しているのではなく、他人を自分の信仰へ誘うすべての者を含んでいる。この法案のことをほとんどのイスラエル国民が知らないうちに、メシアニック・ジューたちはかつて無いほどの反応を示し、イスラエルの民主主義・自由の危機であると発表したのである。正統派に賛同しない保守派、改革派のユダヤ教徒たちの、この法案に対する今後の反応が注目されている。この法案は、信教・思想・教育・慣習の自由を保証した1948年のイスラエル独立宣言に真っ向から対立するものだ。また国連の人権宣言にある“思想・良心・宗教の自由と、心情を何人も止めることなく、個人の利益になる情報・意見をいかなるものからでも受けることができる”(18-19条)にも反する。最終的にはこの法案によって、イスラエルを国家が管理する宗教検閲社会にしてしまうことになる。
メシアニック・ジューたちの反応の成果は、この法案によってメシアニック行動委員会を組織するようになったことだ。委員会は緊急の祈りの要請をイスラエル国内と全世界の信者たちに発信した。また抗議文や嘆願書を、クネセトの議員たちやネタンヤフ首相と閣僚たちに出すように、また西側諸国とアメリカの政治的・宗教的指導者たちからクネセトでこの法案を阻止するように圧力をかけてもらう要請をした。この手紙と世界中からの反応は功を奏し、法案が委員会から上程されるのを止めている。加えて、メシアニック行動委員会のごく最近の発表によると、ニッシム・ズビィリ議員は「この法案支持を取りやめ、自由のために戦う」と宣言したそうである。
改宗を違法とする
現在のところ『反宣教法』は自然消滅しそうだからと事態を楽観視はできない。ラビ的ユダヤ教を代理するクネセト議員たちのメシアであるイエス様とメシアニック・ジューたちに対する敵対心は生やさしいものではないからだ。1997年12月10日、前通信相でシャス党(正統派ユダヤ教)のラファエル・ピンハシ議員は“イスラエルにおいていかなる宗教の変更(改宗)をも禁止するという”さらに強硬な法案を提出した。この法案は1998年1月13日に開かれた内務委員会で討議された。メシアニック行動委員会は、その討議の内容・主旨を以下のように伝えている。
“イスラエルにおいてユダヤ人国家であることは、民主主義の理念よりも優先されるべきことである。‘ユダヤ教から他宗教に改宗する自由’はユダヤ人国家に対する脅迫である。出席委員各位の大多数が認めているように、‘信教の自由’はすべての宗教は自由であるということで、個人の信仰のことではない。いかなる宗教も他からの挑戦から守られるために自由を与えられている。しかし個人には宗教を変更する自由はない…いかなる改宗も違法である。宣教師たちは繰り返し違法な方法を持って改宗者を獲得しているので、彼らが布教する自由を制限しなければならない。現行法では、利益供与による改宗を禁じているが、これでは甘すぎる。…出席議員各位の賛同されるように、改宗を法律で禁止しなければならない。”
クネセトはまたもや、イスラエルの民主主義・自由国家としての存在を破壊される法案に悩まされることになった。宗教的、政治的権威たちの怒りを沈めることができなければ、国民たちは心情を支配される奴隷にされてしまう。このような法案が可決されるならば、イスラエルは民主主義国家ではなくなり、現在の多くの友好国の支援を失うことになる。
独裁か討議か?
私は、イスラエルがユダヤ人の国家として存続することを支持するが、公に公正な討議を経て彼らの主張をするユダヤ性などを示すべきだと思う。イスラエルはあらゆる主義・主張を持つ者たちに公平な討議の場を提供すべきであって、人口の0.01%にすぎない少数派のメシアニックジューだけの自由を縛るべきではない。
ラビたちは、この宗教問題に対して、彼らの手にある神の御言葉の教えと聖霊の示しに従わなければならないことを、全く理解していない。信仰の問題は霊的・道徳的、また習慣・知性を尽くし、御言葉に記されていることに従って決定しなければならない。
信者たちの対応は?
第一に、これらの法案を提出したり支持している、クネセトの強硬な議員たちのために祈るべきである。使徒行伝に記されているように、タルソのサウロのような指導者たちが救い主に導かれたのである。今日のイスラエルにも、メシアに導かれる指導者たちが起こされることを信じ、期待している。
第二に、イスラエルにあるメシアニック・ジューの群のため、またメシアニック行動委員会のために祈るべきである。メシアニック・ジューたちはユダヤ性を無くしてはいない。イスラエルの信者たちは忠実に国家に従い、租税にも兵役にも責任を担っている。メシアニック・ジューは今日のユダヤ人の存続と国にとって、味な存在である。彼らが戦っている自由というのは、すべてのイスラエル人のためのものだからだ。
第三に、以下のあるメシアニック行動委員会の要請を覚えていただきたい。
“皆さんにお願いしたいのは、もう一度皆さんの代表に嘆願して、続いて彼らがあらゆる機会を通じ、精力的に干渉してイスラエルの信教の自由のために協力してもらえるようにしてください。またイスラエルを訪問される方々も、あらゆる機会を通じて、「イスラエルが続いて真の民主主義に留まり、個人が宗教の選択の自由を保証されるように」というメッセージを表してくださるようにお願いいたします。”
最後に、イスラエルにおいて福音が力強く宣べ伝えられるように祈るべきである。我々西側に住んでいる者たちは、信教の自由を保証されるという恩恵にあずかっているが、民主主義は敬虔さを保証するものではないということを、経験上よく知っておく必要がある。主は国々の政治よりも、個々の霊的状態に対してもっと関心を持っておられる。
究極的にイスラエルは神政政治になる。やがてメシアなるイエス様が、エルサレムのダビデの王座に座し、千年王国を統治なさるとき、それが実現する。
(AMFインターナショナル発行 邦訳;石黒イサク)