イスラエルの鼓動 2000年12月
中東の外観と内部事情・情報紙
世界宣教を心にかけて
2000年7月15日、ウィリアム・カリー牧師の葬儀の時に配布された記念文書よりの抜粋
人はビル・カリー師を「情熱的なユダヤ人伝道のスポークスマン」と呼んでいた。まさにその通りであるが、彼のユダヤ人伝道に熱中する心は、1975年アメリカン・メシアニック・フェロシップの理事長に就任した時よりかなり以前から定まっていた。驚くことに、1951年ダラス神学校に入校した時ビルは、中東のイスラム社会伝道に使命を感じていたのだ。神様は全く別のご計画をお持ちで、ビルとスワニーをその後25年の牧会生活の中で変えてくださったのである。
牧師ビルにとって"宣教"は後回しの事柄ではなかった。彼の最初の世界巡回宣教師訪問は、宣教地の牧師たちとの密接な有効関係を築いた。例をあげれば、日本の美濃ミッション主管者、石黒次夫氏などとの生涯を通じての交わりなどである。最近ではEメールなどを用いて、世界各地との交信も盛んであった。
ビルが実際に宣教師として現地へ出て行ったのは、1990年AMFの理事長を辞した時からで、世間では「引退した」と見られた時である。シカゴトリビューンの記者たちがスワニー夫人とのインタビューで、「いつ彼は引退されましたか?」と聞いたが、「引退? 彼はまだ引退していませんよ。最後の入院の直前でさえ“イスラエルの鼓動”情報紙を書いて出しましたよ。」と夫人は答えていた。
追悼文はビルの生涯を描くが、彼の真の実績は彼の関係者たちの顔に表れていると思う。天の御国において、ビル・カリーの説教によって、みことばとユダヤ人に対する愛を教えられた数え切れない国々の人々の顔が輝いる。やがてそこには、ビルがベツレヘムで救いに導いたパレスチナ商人ラジ氏も加わるだろう。キブツでボランティアとして働いていた南アフリカ出身のラケル姉という、ビル・スワニー夫妻がキブツで毎週聖書研究会を開いていた時の中心人物も。またヒスパニック系のホンジュラス、メキシコから、フィリピン、アフリカ、ヨーロッパからビルの働きによって影響を受けた人たちが、ともにアブラハム・イサク・ヤコブの神様を礼拝する群れに加わるのだ。
義父ビルがとうとう見ることのできなかったビデオテープ、私と妻のローリィ(カリー師の三女)がイスラエルで約三週間かけて録画してきた多くの友人たちの顔、感動のメッセージがある。
*「ビルのみことばの解き明かしによって、信仰確立できた」と、いつも顔を輝かせながら話すロシア系移民のおばちゃん。
*ビルを師と仰いでいつも相談していた牧師たち、スワニーを母のごとく慕っていた牧師夫人たち。
*キブツで信仰の証しを立てているカップルは、夫の失明の時にも、ビルによって真の慰めを受け、励まされたと語る。
*イスラエル在住の宣教代表は、カリー夫妻の模範に習って困難 な中でも、続い
て頑張っていると、、、
世界宣教を実践したビルの影響は、AMFの理事長時代の15年、役員としての40年以上に大きいものと言い得るであろう。ビル、スワニー夫妻によって教育され、力づけられた宣教師・伝道者たちは、地球上にどれほど存在するのだろうか。
「クライスター」代表のパット・ケート氏はビルの死去に際してこう書いている。「ビルは1966年から1980年までの14年間、国際宣教団(現在クライスター)の役員として働いた。1971年から1980年までの9年間は委員長であった。彼のおかげで我々の“STOPプログラム”が始まった。これは夏季伝道プログラムのことでイスラム圏、ヒンズー圏と中国伝道を目指しているものだ。この働きに多くの経験者が参加してくれた。彼のユーモアと行動によって私はとても力づけられた。」
ウィリアム・E・カリーの死亡診断書は彼の心臓が停止したことを証明する。しかし彼の神様のために尽くした心(宣教のスピリット)が止まってしまったわけではない。彼の心機能が衰え、予定していた「イスラエル・アジア巡回」をキャンセルした時も、彼は深く愛する海外の人々のことを話し続けていた。彼は“引退”を真剣に考えた6ヶ月間も、生涯現役で奉仕することを目標にしていた。7月1日には、AMFに「今までの仕事を半分に減らして、ハーフタイムでレポートや祈りの記事などを書きつづける」と申し出ていた。
しかし神様はもう一度、違うご計画を表わされた。7月10日に神様は、ビルをフルタイム礼拝者として、天の聖徒の群に加えられた。彼の心臓は止まったが、彼の世界宣教の心は続いて動き続けている。あなたと私は、ビルが地上に残した遺産の一つである。彼の心が私たちの中で生き続けるように。ビルを最期まで守り、忠実に仕えさせてくださった神様が、同様に私たちをも力づけ、主の大切な御業のためにお用いくださいますように。手紙や文章のまとめのときに、ビルがいつも好んで用いていた、主の顕現を待望する言葉で結びとしたい。“主の来りたもう時まで”
AMFインターナショナル代表 ウェスレィ・テーバー
カリー師の功績
ビル・カリー師はすでに牧会者であり、教師・宣教団体の責任者であったが、1960年にAMFインターナショナル(当時はアメリカン・メシアニック・フェロシップ)の役員に就任してからは、この団体に生涯忠実に尽力された。
彼の略歴は以下のとおりである。
1960年、AMFインターナショナルの役員に就任、1967年から1976年事務局長、1974年から1989年まで理事長を歴任、退任後も死去まで役員。彼の指導によって開かれた宣教地はフロリダ州のマイアミとネープルス、ノース・カロライナ州のヘンダーソンビル、メキシコ・シティ、イランのテヘラン(イラン革命までの働きでその後AMFの伝道師たちはイスラエル移転)。今までの宣教地の活動、イスラエル国内の活動拡大、新しいスタッフと会員の増加など。
AMFIのトレーニング・プログラムの充実、カリー師によって改善、新設された働きは多い。GROWセミナーは、週末を利用した短期のユダヤ人伝道の基本講座。SIPプログラムは後に現在のYES! ISRAELに成長した、実践を伴ったユダヤ人伝道トレーニングで、体験者たちがその後、スタッフ、宣教師、伝道師としていろいろなユダヤ人伝道団体の活動に従事するようになっている。
1989年12月31日をもって理事長職を退いたカリー師は、フルタイムで聖書研究などを導くAMFIの国際宣教担当となり、各地の教会で奉仕をした。
スワニー夫人は1989年までムーディ聖書学院で英語と言語学の講師として教鞭を取っていたが、早期に退職し1990年8月夫妻でイスラエルに渡り、1991年12月までと、1992年8月から1993年7月までなど長期間と、その後数回の短期訪問や伝道巡回を行った。イスラエルでは信者の会衆やグループを廻って説教・聖書研究などをするとともに、指導者・長老たちの助言者・相談役となって助けた。それに加えて、彼は個人伝道、弟子養成にも積極的に取り組んだ。それによってAMFIが毎年夏に行っているYes! Israel伝道チーム活動の基盤を築いたのである。
カリー師のイスラエル生活体験とイスラエル人牧師たちとの絶え間ない交流が、「イスラエルの鼓動」という季刊の中東情報紙の機動力であった。感謝すべきことに、彼が執筆したこれらの情報によって我々読者は、問題の山積する地域である中東の政治・宗教・社会生活と聖書預言などを学び、神が現在いかに働いておられるかを知ることができた。
毎回彼は、読者に向かって明確な中東理解を説いただけではなく、ユダヤ人伝道の情熱を注ぎ込んでいた。彼のイスラエルの国と民族に対する誓約・責任として、毎回生きた教訓を読者に与えてくれたのである。
もし彼の召天がなければ、今回のテーマはエフド・バラク首相とヤセル・アラファト議長の交渉決裂を取り上げていたと思う。彼が生きていれば、エルサレム帰属問題で交渉が決裂したことは当然のこととして解説していたと想像するのは困難ではない。
中東で絶え間なくくりひろげられている危機状態は、神様が歴史の巻物を我々の前に徐々に広げておられることを実感するものだ。我々は実に重要な時代に生かされているのである。神を愛する者のために吹き鳴らされるラッパの音を聞くまでに、どれほど時間が残されているかを知る人は一人もいない。
これが最終号です
1993年10月より、2000年6月まで発行してまいりました「イスラエルの鼓動」を、この号をもって廃刊させていただきます。この最終号は、カリー師のAMFIでの功績や、ユダヤ人に対する愛について取り上げました。執筆者のウィリアム・カリー牧師は1999年12月26日の心臓発作後、六ヶ月に及ぶ闘病生活の末、2000年7月10日に主の御許に移されましたので、皆様にカリー師独特のペンタッチを、もうお届けできなくなってしまいました。
今後は、今までと少し違った形で皆様に情報を提供させていただきます。イスラエル情勢や、AMFインターナショナルの現地での活動状況などの情報、また信者の動静などはEメールなどで随時配信いたしますので、ご希望の方々はメールアドレスを以下までお知らせください。
英語の手紙はAMF International P.O.Box 5470, Lansing, IL 60438 USA
また日本語の情報は、〒510-8008 三重県四日市市富田浜町10-4
TEL 0593-65-0096, FAX0593-65-9399 石黒イサクにご連絡ください。
なおインターネットでの中東・イスラエル(英語)ニュースをご希望の方は以下へアクセスしてください。
(AMFインターナショナル発行 邦訳;石黒イサク)