イスラエルの鼓動 1998年9月
中東の外観と内部事情 (記述;ウィリアム・E・カリー牧師)
再臨切迫論議に関わる混乱
私は未だかつて、メシア(キリスト)の再臨が今すぐにでも起こり得ることを信じていないメシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)に出会ったことがない。ウエブスターの新国際辞典に“切迫”とは「今にも実現する状態」を意味するとでている。聖書の教えによると“教会の携挙”は何の前兆もない切迫したものである。この切迫は、時間の長さや日時の設定を意味せず、信者にとっての『幸いなる希望』はいつでも起こり得る近さにあるということだ。教会の携挙は、まさに我々の上にぶら下がっているとも言える。
しかしながら現在、イスラエル国内のメシアニック・ジューの中に“メシアの再臨”に関して混乱が生じている。ほとんどの信者たちは、メシアが再臨され全イスラエルが救われて、世界恒久平和が実現することが切迫していると考えているのだ。“教会の携挙”と“メシアの再臨”とは明確に区別されなければならない。
携挙とは、教会(ユダヤ人も異邦人も含む信者全員)が空中にて主に会うために取り上げられることであり、再臨はメシアが復活された身体を持って地上に戻って来られて、千年王国の統治を開始されることである。この二つの出来事の間には、全世界に神の怒りが下される7年間の艱難期(かんなんき)と呼ばれる時がある。
二つの約束
私の経験から、この誤解について紹介したい。ある時、イスラエル人牧師が千年期後再臨説(教会の活動によって全世界が神の国になったときにメシアが再臨されるという説)を講壇から教えながら、「主が今日、再臨されるならばなんと素晴らしいことか」と言っていたので、私は彼にこう問いかけた。「主の再臨はそれほど切迫していると信じていますか?」彼は「もちろん!」と答えた。「それでは、信者のために主はすぐに迎えに来られると言うのと、主は千年期後しか来られないと言うのは矛盾ではないですか?」と私が続いて問うと、彼は小さい声で「私はまだこの説をあまり学んでいないし、自説もありませんから、この主題の討論はやめます。」と言ったのだ。このように軽薄な考えで聖書研究をおろそかにする指導者は、信者たちを混乱させるのみである。
使徒パウロは初代教会時代に、テサロニケの信者への手紙の中で、はっきりと教会の将来について記している。(テサロニケ前書4:13~18)愛する者たちを失った信者たちを慰めるために、「主はキリストにある死者たちを連れて戻って来られる」と説明しているパウロは、携挙に関する前兆をひとつも記していない。彼らはただその日を待ち望むようにと教えられている。パウロはまたテトス書2:13でもこの切迫している出来事を待ち望むべきであると教えている。彼は“待望”と“切迫”という言葉をよく用いて、信者たちを励ましている。
教会の携挙に対する約束と、イスラエルに対する神の契約とは区別されるべきものだ。神がアブラハム、イサク、ヤコブに約束された土地と民族に関する契約は無条件のものだ。神はダビデ王に彼の子孫が永遠に王位を継承するという契約を与えられた。約6世紀を経て、神はエレミヤによってもう一つの「すべてのイスラエルが神を知る」という無条件契約をイスラエルに与えられた。これらの三契約はまだ完全に成就していない。ユダヤ民族は今日、固有領土として創世記15:18~21で神がアブラハムに約束された土地を保有していない。ダビデ王血統の王は彼らを統治していない。また彼らの心はエレミヤ預言(エレミヤ31:31~40,32:40~44)とはほど遠い状態のままだ。イスラエルはメシアの再来を、これらすべての約束の成就として待望するのである。
王国待望
メシアニック・ジューが慕い続けている“同胞の救い”と“イスラエルの国家的平和”の取り扱いがメシア待望に対する混乱を招いていると私は見ている。誤解の始まりは、神が現在、ユダヤ人と異邦人すべてから教会(信者の群)を召し出しておられることを知らないことにある。私が今春、あるメシアニック・ジューの家にいた時、その家の奥さんが「あぁ、主が早く帰って来られて、統治なさったらいいのに。そうすればすべての問題が解決し、本当の平和になるから。」と言ったのを聞いた。彼女の願望は、再臨以前に起こる教会の携挙も、艱難期などの再臨までに発生するすべての出来事をまったく無視してしまっている。彼女は信者たちが空中で主に会うことについて、何も知らないので、国家の平和とイスラエル民族の救いにだけ焦点を置いているからだ。これが今日のメシアニック・ジューのごく一般的な視点なのだ。
神の二つのご計画
神は旧約時代に族長たちに約束されたことを、やがて必ず成就される。しかし今日神のご計画は、マタイ16:18に記されているキリストの教会を建てあげることである。教会はイスラエルと置き換えられるべきではないし、契約も混同してはならない。教会は、創世記15章でアブラハムに約束された地上の領土を保有することはなく、ヨハネ14:1~3に記されている天上の住居を待望するのである。イスラエルはやがて住居として中東にある領土で、ダビデ王の子孫が統治する国として、『かの日の後に、我がイスラエルの家に立てんところの契約はこれなり。我わが律法を彼らのうち置き、その心の上に録さん。我は彼らの神となり、彼らはわが民となるべし。』(エレミヤ31:33)と神の定めておられる契約の成就を見るのだ。この記述は神と人間の親密な関係を表現しているが、彼らは未だにその価値を理解していないし、その喜びも経験していない。ただ神のみが、新しい契約を持ってイスラエルを取り扱ってくださるのだ。
教会はイスラエルと違い、イスラエルの将来とも、艱難期と呼ばれるメシア再臨の前兆とも無関係ということになる。携挙は教会を天に取り上げることを意味するので、その時主の御足はオリブ山には降りられない。パウロがテサロニケ前書4:13~18に記しているように、教会は空中で救い主に会うのだ。これが今日のすべての信者にとって「幸いな希望」と呼ばれるものなのだ。我々教会はメシアにあって一つにされ、聖霊のバプテスマによってキリストの御体に組み入れられたので、イスラエルとは全く違った新しい希望と将来が備えられているのである。
エルサレム教会の監督であったヤコブは、この区別を明確に理解していた。使徒行伝15章のエルサレム会議において彼は、アモス書9:11,12を引用している。聖霊は彼の目を開いてくださり、イスラエルと異邦人双方から召し出された“教会”が存在することと、その後(教会が完成し携挙されてから)メシアが再臨されて『…倒れたるダビデの幕屋を再び造り、そのくずれし所を再び造り…立てん』ということが成就すると宣言している。ヤコブは教会とイスラエルに対する神のご計画の違いをよく理解していたのである。
メシアニック・ジューだけが携挙と再臨を混同しているのではない。異邦人クリスチャンも同様の誤りを犯している。サタンは教会を分離し、混乱させることが大好きである。あるグループは、自分たちとイスラエルの将来を重ね合わせた解釈を用いている。異邦人もユダヤ人も、次に起こる教会史上もっとも重大な出来事は“携挙”であることを明確に知っておく必要がある。
なぜ努力が必要なのか?
もしロマ書11:26に記されているように『イスラエル全部が救われる』ならば、ユダヤ人伝道の努力は無駄ではないだろうか? 将来に神が契約を実現されるのを待つだけではいけないのか? 傍観していてはいけないのだ! なぜパウロがロマ書9:1~3で「彼自身が呪われてでも同胞を救って欲しい」と願ったかを考えていただきたい。彼はユダヤ人たちの失われている状態をよく理解していて、携挙までの期間はユダヤ人も異邦人と同様に、メシアを自分の救い主として受け入れなければ救われないことを説教していたのだ。今日ユダヤ人が自分の罪を持ったまま死ぬと、他のすべての民族と同様に神から永遠に分離されることになる。しかし神の摂理により、ロマ書11:5に記されている“恵みの選びによりて残れる者”というのが存在する。彼らは神様の介入によってメシアの十字架の御業と言う福音に接するのである。
あなたの周りにユダヤ人の友人・知人・隣人・同僚はいないだろうか? 彼らも異邦人と同様に「救いは神の恵みよる」というメッセージを聞かなければならない。あなたも私も、“ユダヤ人を祝福する者は祝福を受ける”ことを知っている。どうしたらよいのか?彼らに、メシアの愛と彼らのために十字架上で成し遂げられた御業を伝えていこう。さぁ我々とともに福音をその“ふるさと=ユダヤ民族”へ送り返す働きを進めようではないか!
ミニ神学用語事典
以下の説明は明確な区別のための参考にしていただきたい。
携挙=教会を迎え挙げるために、キリストが空中に来られること。艱難期前に起こるため非常に切迫している。
艱難期=7年間の全世界に対する神の審判の時。ダニエル9:24~27,マタイ24章に預言されている。反(偽)キリストがこの期間に独裁政治をする。ユダヤ民族は神殿を再建する。そして艱難期の半ばに、反キリストが自分を神と宣言するまで神殿にて犠牲が捧げられる。マタイ24章では後半の三年半は大艱難であると示している。
再臨=主が艱難期の終わりにオリブ山に帰って来られることで、異邦諸国の軍隊を滅ぼし、審判が行われ、イスラエルの生存している残りの民を裁き、地上を統治される。
千年期(千年王国)=メシアが再臨後、正義と平和を持って地上を千年間統治されること。イスラエルの残りの民がその王国に入り、ロマ11:26にある全イスラエルが救われる時である。
千年期前再臨説=キリストは千年期前に再臨され、地上に千年間のキリストの王国が実現するという説。
千年期後再臨説=教会の活動が行われている期間中に、全人類が救われ、正義と平和が実現するとキリストが再臨されるという説。この説によると、教会は再臨のために、全人類を改宗させる使命をおびていることになるが…
無千年期説=地上での千年王国は存在せず、イスラエルは将来国家として存在しないので教会がイスラエルに代わって神のご計画の中に入れられたという説。この説によると、キリストの再臨は永遠を開始するためである。
アブラハム契約=神がアブラハムとその子孫に約束された地上の領土保有と、この民が諸国民の永遠の祝福となるという、無条件かつ永遠の契約である。
ダビデ契約=神がダビデ王に約束された「ダビデの子がイスラエルを永遠に統治する」という無条件かつ永遠の契約。メシアの千年王国時代に成就される。
新しい契約=神のユダヤ民族に約束された無条件の契約。全ユダヤ人の心に神の律法が記されるという、千年王国時代に成就する。(エレミヤ31:31)
(AMFインターナショナル発行、邦訳;石黒イサク)